よくある質問

質問1 もし神が愛なら、何故、この世に戦争、悩み、苦しみ等々があるのですか?

解答

A 初めに神が創造された世界には、悩み、苦しみ等は存在しませんでした。アダムとエバ は完全な世界に神と共に住んでいました。
創世記1:27~31

B 神はアダムとエバ(すなわち人間)に自由意志を与えられ、神に従うか、従わないかの選択を彼らにまかせられました。この自由意志なくては人間はロボットか動物のような存在なのです。
創世記2:15~17

C この自由意志をもったアダムとエバは神にそむき罪を犯しました。その結果ただちに、悲しみ、殺意がこの世に入りこんだのです。
創世記3:1~4:15に詳しく書かれています。

D その時から、神にそむき、罪を犯した人間の心の状態は下記の聖句に現わされています。
ガラテヤ5:19~21 マルコ7:21~23 ローマ1:18~31
このような罪を持った人間の社会に悩み、苦しみ、戦争etc.があるのは当然なのですそれ故、悪の存在責任は人間の罪の故と言えるのです。
ヤコブ4:1~8

E 悪の原因が人間の心の罪の結果であるとするならば、この悪を解決することは人間には不可能です。
ローマ3:10~18 イザヤ64:6

F それどころか、聖書は終りの時代には、世界はますます悪くなることを教えています。
2テモテ3:1~5 マタイ24:3~51

G それでは、いったい、悪の解決はどこにあるのでしょうか。イエス・キリスト(神の子)のみがこの世に真の平和と喜び、愛をもたらすお方なのです。
どのようにしてでしょうか? それは、人間の罪という悪の根本的原因をイエス・キリストの十字架と復活が完全に解決したからです。
1ペテロ2:24 2コリント5:17

 これはイエス・キリストの十字架と復活を通して、個人的に罪に勝つ力、きよい生活、義に生きる力なのです。しかし、世界こも、いつか悪も戦争もなくなる時がやって来ることを聖書は語っています。
黙示録20:12~21:5

 それでは、このような時代に生きている我々人間は何をなすべきでしょうか。

1・まず、個人的な罪のゆるしをうけて、きよい生活に入る。
2・他の人々をこの救いの生活に導く。
3・戦争や悪魔の働きを恐れる事なく、再びイエス・キリストが来られるまで「こわがってはいけません‥‥・これらのことがおこりはじめたら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです」
(ルカ21:9、28)の御言葉に堅く立つ。

質問2 イエス・キリストを信じなくても幸福な人生をおくれるのではないでしょうか?

解答

A 先に、一般的幸福論を考えてみましょう。(世的幸福)

1富。しかし、これは一時的な物質故、決して人間を幸福にさせることはできません。
ルカ15章の放蕩息子の生き方の中に、彼の持った富は彼を幸福にはしなかった事がよく書かれています。
その他、ルカ12:15~21

2知恵、教育、名声も快楽をも人を幸福にすることはできません。
伝道の書1:12~2:26

すなわち、これらの一般的な幸福論はあくまで、物質的、及び一時的なものにしかすぎないため、人間が求める永続的幸福を得る解答にはならないのです。
それでは、永遠の幸福とは何でしょうか。
聖書は神と共に歩む生活の中に幸福、喜びがあることを語っています。
「あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。あなたのみ前には、喜びが満ち、あなたの右には楽しみがとこしえにあります」(詩篇16:11)
この神のみ前に出る方法は、マタイ5:8に書かれているように、「心のきよい者」となることです。それ故、我々は人間の心をきよくすることのできるイエス・キリストを信じる事が大事なのです。
ローマ5:8~11 真の幸福のスタートは人間の罪が許され、神のみ前に義とされるという辞典から始まるのです。 詩篇5:12
罪許された者の中に住み給うイエス・キリストの中には、一時的なものではなく、永遠の富、喜び、平和etc.があるのです。

1平安 ヨハネ14:27
2喜び  ローマ14:17
3富  ピリピ4:19  2ペテロ1:3
4知恵、知識 コロサイ2:3 1コリント 1:30
5生命 ヨハネ3:36 ヨハネ10:10

イエス・キリストの中に人間が求める全てのものが満たされているのです。
コロサイ2:9、10

質問3 イエス・キリスト以外に救いの道はないのですか?

解答

A 「救い」とはどんな意味かを考えてみましょう。

1.誰が救われなければならないか。
罪人(失なわれた者)
1テモテ1:15 マタイ18:11(ローマ3:23 全ての人は罪人である)

2.何から何へ救われるのか。
・何から
マタイ1:21(罪から)
ローマ6:23(罪の結果のさばきから)
・何へ(永遠の生命、きよい生活)
コロサイ1:13 ヨハネ10:10 ヨハネ3:36
使徒26:18
その他、地上の生活に現わされるあらゆる面における勝利の力が約束されている。
詩篇91:15、16 出エジプト15:26 ピリピ4:19

 このすばらしい救いをくださる方は、神の子イエス・キリストのみです。
ヨハネ14:6

 救いは次のような方法によるのではありません。

1.それは自分の力や律法を守ることによってではありません。
エペソ2:8、9
2.人間の知恵、悟りによるのでもありません。
イザヤ55:7~9 詩篇94:11
3 他の名前、如何なる宗教、人間にも救い主としての権威は与えられていません。
使徒4:12 イザヤ43:11 1テモテ2:5

D では、どのようにして救われるのでしょうか。
ローマ10:9、10 使徒16:30,31
(悔い改め 信仰告白)

質問4 見えない神をあなたはどうして信しることができますか。

解答

A 見えないから信じられない、存在しないと言う結論は出し得ません。なぜなら見えなくとも存在するものは多くあります。、たとえば、空気、風、電気、また人間の心、愛、及びその他の感情、痛み等々これらは肉眼には見えないがその存在は認められ否定することはできません。

 聖書は神は霊であると語っています。
「神は霊であるから」(ヨハネ4:24)
それ故、神を肉眼で見ることができないのは、ごく自然なことでしょう。
1テモテ1:17 6:15,16

 しかし、聖書は神の存在は次の諸点を通して明確に現されていることを教えてくれます。

.神が造られた自然界を通して。 詩篇19:1 ローマ1:19,20
もちろん、これは神の不完全な啓示であり、この自然を通して神の力、自然美を知ることはできるが、完全に神を知ることはできません。

2.神はイエス・キリストの中にご自身を現わされた。これこそ、神の完全な啓示なのです。
ヨハネ1:14、18 ヨハネ14:6~11 コロサイ1:15
ヘブル1:2~3

3.聖書を通して神を知ることができる。
ヨハネ5:39 使徒18:28 2ペテロ1:20、21

4.キリスト者(クリスチャン)を通して
エペソ2:10 ガラテヤ2:20 2コリント4:7
多くの人々はクリスチャンの中に神を見ようとします。それ故、これはクリスチャンにとって大切なチャレンジとなるでしょう。
人々が私たちの中に神(キリスト)を見ることができるように生活しなければなりません。

a.祈りの答えを通して。エレミヤ29:12、13

b.主ヘの賛美を通して神はご自身を現わされることも聖書は教えています。
詩篇22:3
c.しるしと不思議をともなう聖霊の働きを通して。
使徒19:11~20
d.キリストの愛はクリスチャンの良い行ないを通して表わされます。
ガラテヤ5:22、23

D しかし、いつか未来において、私たちは神を見ることが許されています。
1ヨハネ3:2 黙示22:1~4 1テサロニケ4:16~18
使徒1:9~11

質問5 あなたは何故聖書が神の言葉であると信じることができますか。

解答 この解答のために二つの面からの証明を考えてみましょう。

A 外的証拠

. 聖書は2000年近くの長い年月にわたり、40人以上の異なる著者(王、政治家、医者、農夫、漁師等々)によって書かれたにもかかわらず、その流れは一貫 した主題(イエス・キリスト)にまとめられています。このような事実は考えられないことであり、聖書が神によって書かれたことを示しています。

.長い歴史の途上で多くの人々は歴史から聖書を抹消しようと試みたにもかかわらず現在もなお世界の人々にベストセラーとして読まれているのです。これも聖書が人間の作でないことを語っているのではないでしょうか。

3.どんな書物も聖書のように多くの国語に訳された書物はありません。又聖書は文学的にも哲学的にも最高のものとして世界に知られています。

4.考古学も聖書の中の記事が真実でであったことを示しています。
〔例、ノアの洪水〕

異なる4ケ所で洪水による堆積層が発見された。
.ウルにて、1929年ウーリー博士によって。
.キシュにて、1928年~29年ラングトンによって。
.ファラにて、1931年シュミットによって。
〔例、エリコの域壁の崩懐 ヨシュア6:20〕
ガースタングはエリコがヨシュの時代に当るB.C1400年頃に破かいされ、城壁は外側に向って倒れ山腹に崩れおちたということを発見しました。またヨ シュア6:24のヨシュアによっておこされた火事でできた灰の層をも発見されました。その他、多くの考古学的証明があります。

5 多くの国l々は聖書にもとづいて、その国の法律、道徳、文化、文明等を築きあげました。

6.聖書を信じることによりて変えられた多くの信仰者の証しも聖書の権威を証明していると言えます。

B 内的証拠

1.神ご自身が聖書の中で何回も聖書が人の証しではなくて、神の言葉である故、人間はこれにつけ加えることも、取り除くこともできないと語っておられます。
2テモテ3:16 2ペテロ1:20、21 箴言30:5、6a

2.旧約の預言の中で新約において成就した多くの預言のいくつかをあげてみましょう。

a.イエス・キリストの誕生地 ミカ5:2-マタイ2:1
b.イエス・キリストの苦難と十字架、葬られた場所

詩篇22 - マタイ27
詩篇22:7 - マタイ27:39
詩篇22:8 - マタイ27:43
詩篇22:18 - マタイ27:35
イザヤ53:12 - マタイ27:38
イザヤ53:9 - マタイ27:57~60

c.聖霊降臨の預言の成就 ヨエル2:28-使徒2:16~21

3.旧約にも新約にもユダヤ民族に関する預言があります。

a.エルサレムの崩壊、神殿の破かい、各地に散在する民となる
ミカ3:12 ゼカリヤ7:14 マタイ24:2
ルカ21:24
これはA.D.70年にエルサレムが滅亡し、神殿が破かいされ、それ以後ユダヤ人は世界の各地に散在するようになったことにおいて成就しました。

b.このユダヤ人が再び自国へ連れもどされ、独立国をつくりあげる事の預言 エゼキエル36:24、37:21、11:17これはA.D.1948年にイスラエル共和国ができユダヤ人が自国にもどって行った時点において成就しました。

4.イエス・キリストご自身を神の言葉として引用している。
マタイ5:17、18 マタイ4:1~11

5.人々が聖書を読む時聖霊が働いて人々に罪を認めさせ、神を認めさせる働きをする。これは人間の書物ではできない神の働きです。

質問6 イエス・キリストの復活が本当であったと言うことをどうして信じることができますか。

解答
A 復活は歴史的事実です。

1. ある人々は復活は幻想であったと疑います。しかし、異なった集団の人々が同じ幻想を続けて見るとは考えられません。復活という予期しなかった事実を500 人以上の人々が同時に夢見たり、また彼らが恍惚状態におちいっていたと考えることは難しいのではないでしょうか。次に復活後のキリストの顕現をあげてみま しょう。

a.マグダラのマリヤに マルコ16:9~10
b.他の女たちに マタイ28:9~10
c.2人弟子たちにエマオの途上で ルカ24:13-32
d.ペテロに ルカ24:34
e.11弟子に マルコ16:14 ルカ24:36
f.トマスを含めて11弟子に一週間後の夕
ヨハネ20:26~29
g.弟子たちがガリラヤ湖畔で ヨハネ21章
h.500人以上に 1コリント15:6
i.ヤコブに 1コリント15:7
j.最後の顕現、昇天 マルコ16:14~20
ルカ24:36~53
こんなに多くの時、場所、人々にキリストはご自分を示された。

2. ある人々は仮死状態ではなかったかと疑います。イエスが墓に入れられた時、死んでいなかったため後で息を吹き返したのでは?。しかし、聖書はイエス・キリ ストが完全に死んだことを明らかにしています。マルコ15:42~46、ヨハネ19:31~35(34節に、イエスのわき腹に槍をさした時、水と血が出た ということが書かれています。ある医学の権威は心臓破裂の場合のみ、血液は心臓の外壁に集まり、血液の塊りと水様の血清とに分けられる、と言っています。

3.また、ある人々は作為的記録ではないかと疑います。キリストを英雄、栄化するために、後日作られた話では?。
復活はキリスト教信仰に後日付加されたものではなく、キリスト教の起因であり、出発点でありました。もし弟子たちが実際に見ていなかったなら、彼らの信仰 の変化は信じられません。まず、彼らは、キリストの復活など信じていませんでした。しかし復活後彼らは生命をも惜しみませんでした。
たとえば、ルカ24:9~11=使徒5:27~33
マタ26:56b=使徒4:33 弟子たちの変化
マタイ26:31~75=使徒3章4葦 ペテロの変化
ヨハネ20:25~29 トマスの変化
以上を見る時、たしかに、弟子達は、自分自身で復活のキリストを見た事を物語っていると信じて疑えないのではないでしょうか。

4.誰かがキリストの体を盗んだのではないか。
もし、ローマ人が盗んだなら、後でキリストの死件を人々に見せて、復活は事実でなかったと、くつがえす事ができたはずです。また、弟子たちが盗んだのであ るなら、死んだキリストの体をかかえた弟子たちが、キリストのためにその命までささげて、従っていった姿は不思議で理解しがたいのではないでしょうか。そ れ故盗まれたとは考えられないのにこの墓が空っぽであったと言う事は、復活の事実を否定しえないひとつの証拠となるはずです。

B 聖書自身、キリストの復活が事実であったことを明確に語っています。

1.旧約聖書に、すでに復活は預言されていました。
詩篇16:10 使徒13:34~37

2.イエス・キリストご自身、生前、復活について語っておられました。
マタイ16:21、20:17~19 マルコ9:31、
8:31 14:28 ヨハネ2:19~22

3.福音書は四人の異った著者によって書かれたが、四人共復活の事実を書いている事はこれが事実であったことを示しています。
マタイ28章 マルコ16章 ルカ24章 ヨハネ20:1~21:24

4.キリストの迫害者であったパウロは復活後のキリストを知り、復活の事実について語っています。
1コリント15:3~9、20 1テサロニケ4:14
ローマ6:5~10

質問7 なぜキリストの十字架と復活を信じる事は大切なのですか?

解答 一般の人々はイエス・キリストは偉大な宗教家、あるいは、四大聖人の1人として考えるが、キリストの十字架と復活はキリストが単に、偉大な人とか、聖人だけでなく、神の子であったことを証明します。

A 十字架の意義

1.十字架は人間に村する神の愛の現われです。
ローマ5:6~8 ヨハネ15:13
2.十字架なしに人間の罪の許しはありません。

a.ヘブル9:22によると人間の罪の許しは、血を流すこと以外にはあり得ませんでした。罪の結果は死です。ローマ6:23。旧約においては、この罪の許しのために動物の血が流されました。しかし、それは完全な購いではありませんでした。

b.イエス・キリストは、この完全な罪の購いのために、この世に来られました。キリストの十字架の血は人間の罪を許す唯一一の完全な救いの道でありました。
ヘブル9:28a、10:12 1ヨハネ1:7

3.十字架によって神との和解、神との平和を持つ事ができます。
コロサイ1:20~22 ローマ5:1

4.魂のためばかりでなく、肉体のいやしのためにもキリストは十字架で死なれました。
イザヤ53:4、5 マタイ8:16、17

B 復活の意義

1.復活はイエス・キリストが単に人間でなく、神の子であったことを証明しています。 ローマ1:4

2.キリストは復活された故今も生きてキリストのもとに来るものを救い、とりなすことができるのです。
ヘブル7:25

3.復活を通して十字架の力は有効となります。
1コリント15:17、54~57
キリストがよみがえらなかったならば、キリストの十字架は意味のないものであり、キリストには罪を許す力も人間を義と認める力もあり得なかった。しかし、キリストが死からよみがえった事を通して、十字架の働きの力を証明しました(有効なものとした)。

4.罪に打ち勝つ力、義に生きる力、きよい生活をする力は復活の中にあるのです。
ローマ6:4~14 エペソ2:1~10

5.永遠の生命に生き、キリストの復活にあずかる事ができます。
ヨハネ11:25、26 ピリピ3:20、21 1コリント15:20~23

質問8 イエス・キリストが聖書に定められた高い道徳基準をどのようにして守ることができますか。

解答
A たしかに聖書には、高い基準が示されています。

たとえば、マタイ5~7章を参照。
マタイ5:22また1ヨハネ3:15。憎しみは殺人と等しい罪。
マタイ5:27、28。情欲をいだいて女を見る者はすでに心の中で姦淫を犯したのである。
マタイ5:44。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
その他、数多く高い基準があげられています。

B 人間は自分の力ではそのような高い基準を全うする事はできません。
ローマ7:15~24 イザヤ64:6

C しかし、人間の中に、その力がない事を知りつつも、イエスはこのような高い基準を守るように命じられました。それ故、神はこれを全うする道を人間のために持っておられたはずです。

聖書は、それについて次のように語っています。
1.まず神の子イエス・キリストを信じ、受け入れる事。
ヨハネ1:12 2コリント5:17(これは、人間が自らの罪を認め告白し、救い主イエス・キリストを自分の心に受け入れる事です)

2.キリスト者の中に住み生き給うキリストから、この高い生活基準を全うする力が与えられます。何故なら、イエス・キリストは完全な生涯を送られ(2コリント5:21 1ヨハネ3:5)この高い基準を全うされた唯-のお方であったからです。
ガラテヤ2:20 コロサイ1:27b ピリピ1:11(クリスチャンの 中に住み給うイエス・キリストによって)

3.同じようにキリストを信じる者たちの中に住み給う聖霊の実、及び聖霊の働きによって全うすることができます。
ガラテヤ5:22~23 2コリント3:17、18

4.このようにして、高い基準を全うするために大切なのは人間の側で全く聖霊に明け渡す、また聖霊に従うという事です。
ローマ8:1~14
聖霊に明け渡し、従うという事が充分できない時、クリスチャンはこの高い基準を全うすることができず、罪を犯したり、失敗したりします。しかし、そのよう時にも罪を悔い改め、聖霊に再び従っていく時、主はかえりみてくださいます。
1ヨハネ1:9

質問9 クリスチャンが教会へ行くことはなぜ必要ですか。

解答
A 教会とは何かを考えてみましょう。聖書を読んでみると、教会は十字架がそぴえ、ステンドグラスがはられたようないわゆる建物をさしているのではないことが分ります。
聖書が語る教会は、エペソ人への手紙に書かれているように、イエス・キリストの十字架の血潮によって罪が許された者によって成る群です。そして、それはキ リストを頭として、私たちクリスチャンがキリストの体となることをさしています。各々の肢体の働きも価値も異なっているが、どれ-つとして切り離してし まってよいものはありません。それと同じように、キリストを信じて、キリストの肢体の一部とされた私たちひとりひとりのメンバーが重要なのです。
また、教会は、神の建物、神の神殿にもたとえられています。
1コリント3:10 エペソ2:20~22

B それでは次に、何故この教会にクリスチャンが集う必要があるのかを考えてみましょう。

1. 教会(キリストを頭とした信じる者の集まり)がキリストの体であるなら、クリスチャンひとりひとりはどうしてもその群に集う必要があります。それは義務か らではなく、ちょうど人間の体が互いに肢体の部分を愛し、いたわり合うように、-つの体が完全なものとして働くための愛と調和の故であるといえましょう。
1コリント12:12~31

2.キリストの肢体が集い合う所を通して、自らの信仰も励まされ、強められ、成長していきます。
エペソ4:11~16

3. イエス・キリストが地上にあって、体をもって力ある働きをされたように、現代は、キリストを頭とした肢体がひとつになって、神の力を現わします。今日、キ リストが世界にご自分の愛と力を現わすことができるのは教会を通してなのです。それ故肢体であるクリスチャンが神のご栄光を現わす目的のもとに、教会に集 うことは大切なのです。
ローマ12:3~8

4.教会は神ご自身にとって尊い存往であり、いつか神はご自分の前に教会をむかえられます。
エペソ5:27

5.キリストのみ前に出て、他のクリスチャンと共に主を礼拝することはクリスチャンのよろこびです。 詩篇122:1 使徒2:46、47

6.主の命令でもあります。
ヘブル10:25

質問10 クリスチャンはお酒、タバコ等についてどう思いますか。

解答
A クリスチャン生活はお酒、タバコにかぎらず、全ての点において、「~すべからず」主義の生き方ではありません。クリスチャンの信仰生活は決して律法主義的なものではありません。何故なら、クリスチャンが救われたのは信仰と恵みによるのです。
エペソ2:8、9 ガラテヤ2:16(お酒やタバコをやめる事によって救われ、クリスチャンになるのではありません)

B 次に聖書は、我々の体は神の宮であり、これを潔く、また、健全に保つ事が神のみこころである事を教えています。
1コリント3:16、17 6:19、20
(お酒、タバコが体に害になる事は聖書ばかりでなく、医学的にも教えられている事です。この点からも当然のむのはよくない事が一般に知らされています)

C また聖書はクリスチャンは他の人々の模範となるべきである事を教えています。愛の中にあって他の人々をつまずかせないように心がけなければなりません。
1テモテ4:12

D 聖書は、クリスチャンには真の自由が与えられている事を教えています。
1コリント6:12
しかし、この自由をどのように、使うかが大切な事です。

1.徳を高め、有益な目的のために使う。
1コリントlO:23
2.神の栄光のために使う。
1コリント10:31

E お酒、タバコ、その他の悪からどのようにして解放される力が与えられるでしょうか。

1.キリストの卜字架を信して、罪が許され新しいキリストの生命に生きる事。
2コリント5:17 ローマ6:11~14

2.聖霊の力に満たされる事において。
ローマ8:4~13 エペソ5:18

質問11 クリスチャンが言うキリストの再臨とは何ですか。

解答
A  二千年の昔、イエス・キリストが肉体をもって地上に来られた事は、世界中の人々に知られています。聖書はそれを第一のキリストの地上来臨として語っていま す。このキリストの誕生も旧約聖書の預言の通り成就されました。しかし、聖書はそのキリストが十字架で死に、三日目によみがえり、昇天された後、いつかま た再び地上に来られると言う事をはっきり約束しています。
聖書はキリストが目に見える姿で再臨されると証言しています。          使徒1:9~11 黙示1:7 マタイ24:30 ダニエル7:13
キリストの人としての誕生(クリスマス)が我々の日に明確に見られたように、キ リストの再臨の姿も我々の日ではっきり見る事ができると書かれてあります。

B キリストの再臨の目的は何でしょうか。

1.ご自分の民をむかえに来るため。
マルコ13:26、27 1テサロニケ4:16~18

2.神の子供たちに栄化された体を与えるため(贖いの完成)
ピリピ3:20,21 1コリント15:50~57

3.世界に対する最終的なさばきを行なうため。
マタイ16:27 詩篇96:13 2ペテロ3:7~10

C キリストの再臨はいつ起こるのですか。
誰にもその時は知らされていません。しかし、その日が近づいているというしるしが聖書を通して教えられています。
マタイ24:36、42、44 マタイ24:4~33

D キリストの再臨に対して、どのような備えをするべきでしょうか。

1.目をさましている。
マタイ24:42、25:13 ルカ12:37

2.その時まで信仰をもって励む。
2ペテロ3:4~14

3.霊と心と体をきよく守り続ける
2ペテロ3:11、13、14 1ヨハネ3:2、3